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広島地方裁判所 平成5年(ワ)1387号 判決

原告

森戸治雄

右訴訟代理人弁護士

高村是懿

被告

三菱重工業株式会社

右代表者代表取締役

増田信行

右訴訟代理人弁護士

末国陽夫

中村信介

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(一)  被告は、原告に対し、金七六五万七六四七円及び内金七一五万七六四七円に対する平成五年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

二  当事者の主張

1  請求原因

(一)  当事者

原告は、一九四九年(昭和二四年)四月一日、被告会社広島造船所(現広島製作所)に養成工として入社し、昭和二六年四月一日、同所造船部造船設計課に配属されたものであり、入社と同時に全日本造船機械労働組合三菱重工支部広島造船分会(以下「分会」という。)に加入し、一九九三年(平成五年)九月三〇日、定年退職した。

被告会社は、船舶、原動機、各種産業機械、航空機の製造販売等を目的とする株式会社であり、広島製作所の従業員数は、現在約三七〇〇名余である。

(二)  本件に至る経緯

(1) 被告会社広島造船所(現広島製作所)内において、被告会社の従業員中の工員で構成する労働組合は、かつて分会しか存在しなかったが、一九六三年(昭和三八年)被告会社の大規模な組織攻撃により、第二組合(現造船重機労連三菱重工労組広島支部)が結成された。

それ以来、被告会社は、会社から独立した自主的労働組合として労働者の要求を採り上げて闘う分会を一貫して敵視し、その所属組合員に対し、不当な賃金・身分差別・村八分的攻撃を組織的・系統的に展開してきたことにより、分会の団結権は侵害され、少数組合に追い込まれた。

(2) 分会は、これら被告会社の悪質極まりない一連の違法不当な攻撃と団結権の侵害に対し、被告会社を被申立人として、一九六八年(昭和四三年)一月二〇日及び九月二四日広島県地方労働委員会に対し、分会組合員に対する賃金不利益取扱禁止等を求める不当労働行為救済命令の申立てをなし、一九七三年(昭和四八年)二月二八日「会社は分会員なるが故の差別をしない。会社は分会員に対し、解決金四〇万円を支払う。」などを内容とする和解が成立した。

(3) しかし、それ以後も被告会社は、分会敵視と分会組合員への賃金・身分差別を繰り返したため、分会は、一九七六年(昭和五一年)と一九七九年(昭和五四年)に右地方労働委員会に対し、同様の賃金・身分差別是正を中心とする不当労働行為救済命令の申立てをした(広労委昭和五一年(不)第一七号、広労委昭和五四年(不)第四号併合事件)。

右地方労働委員会は、被告会社の違法行為の事実を「会社が申立人分会員の進級、昇給等を不利益扱いすることによって、分会の組織弱体化を図ったものと言わざるを得ず、労働組合法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である。」と認定し、分会組合員に対する賃金・身分差別取扱の中止と是正を命令した。

これに対し、当事者双方が中労委に再審査の申立てをしたが、一九八四年(昭和五九年)三月五日、中労委の関与により、被告会社と分会との間で和解が成立し(以下「本件和解」又は「本件和解協定」という。)、被告会社は、これまで分会組合員に対する賃金・身分差別が不当労働行為であったことを事実上認め、その是正を約束すると同時に、分会との間に「事業所は、本件和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」とする労使間協定を締結した。

(4) 右和解により、分会組合員である原告の本給は、従来の五万九〇〇〇円(月額)から、六万円に是正され、その年の定期昇給により六万一六〇〇円となった。

当時、原告の属する職群等級は、事務技術職(事技職)三級であったが、当時原告と同期同年齢の事技職平均本給(賃金モデル)によると、定期昇給(定昇)後の本給は、一〇万一七五〇円であり、右和解成立によっても、原告の是正本給との間には、なお四万〇一五〇円の較差が存在していた。

右和解において、「本件和解の趣旨を尊重し」とあるのは、右是正後の原告の賃金と右賃金モデルとの較差を漸次是正していくとの趣旨であった。

(5) しかし、被告会社は、その後も分会組合員に対する差別的取扱を継続し、職場単位で行われる冠婚葬祭も、分会組合員には連絡をせず、職場の親睦会からも分会組合員を排除するなど、「村八分」ならぬ「職場八分」の差別を押しつけた。

原告も、かかる差別的取扱を受けたうえ、一九八九年(平成元年)の四月、被告会社の関連企業である株式会社リョーイン(以下「リョーイン」という。)に出向になった際にも、高い囲いのなかで、壁に向かって一人で仕事をさせられ、親睦会や冠婚葬祭にも参加させず、「職場八分」の差別的取扱を受け続け、リョーインは、同年五月、分会の抗議により、同年九月ようやく原告の親睦会加入を認めた。

(6) また、被告会社は、右和解にもかかわらず分会組合員に対し、思想、信条による賃金差別を引き続き継続させた。

原告の場合、右和解成立時に是正された本給とその年の定期昇給後の本給(月額六万一六〇〇円)が、右和解による較差漸次解消の合意に基づき、その後定期昇給額最高額で昇給するとすれば、別紙計算書記載のとおり、定年退職時の本給は一四万九四〇〇円となるにもかかわらず、実際には一四万〇二〇〇円しか支給されず、差引月額九二〇〇円の差別的取扱による損害を被った。

(7) 分会は、被告会社に対し、右和解の趣旨にしたがって賃金差別を是正するよう団体交渉を重ねているが、原告は、定年退職するに至り、右団交による賃金差別是正の可能性がなくなったため、やむなく、本訴提起に至ったものである。

(三)  被告の責任

(1) 被告会社は、労働協約である本件和解の「和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」との条項に違反して、和解成立後、右労働協約の適用を受ける原告の賃金を、原告が分会組合員であることを実質的理由として不当に安く据え置いたものであるから、債務不履行の責任を負う。

(2) 被告は、憲法一四条(法の下の平等)、一九条(思想の自由)、二一条(表現・結社の自由)、労基法三条、民法九〇条に違反して、原告が分会組合員であることを実質的理由として賃金差別を行ない、また職場八分による人権侵害を行なったものであるから、不法行為責任を負う(職場八分による人権侵害の不法行為については、後記(四)(2)イのとおり。)。

(四)  損害

(1) 債務不履行による損害

ア 前示のとおり((二)(4))本件和解当時、第二組合員と分会組合員との絶対的格差は大きかったが、結局、右格差は是正されないままに原告は六〇歳を迎えて退職した。原告の退職時の本給は一四万〇二〇〇円であるから、七万八九〇〇円もの格差が生じており(モデル賃金(〈証拠略〉)によると、高卒労働者五五歳の事技職管理職一級の本給は、月額二一万九一〇〇円となっている。)、むしろ、本件和解時より格差は拡大している。

イ 本来、右格差をそのまま原告の損害として計上すべきものであるが、就業規則上の制約(社員賃金規則、社員職分等級規則、社員昇給規則など)があるため、その制約に従って計算したものが別紙「理論賃金損害額」記載の等級、是正本給額である(すなわち、原告の場合、本件和解時には事技職三級として一〇年も据え置かれていたことになり、進級差別を受けていたことが明瞭であるが(社員職分等級規則第七条三項(2))、右和解の翌年の一九八五年(昭和六〇年)には、同規定に基づき事技職四級に進級するものとし、さらにまる二年経過後の一九八八年(昭和六三年)事技職五級に進級するものとし、定年まで右等級に留まるものとして計算した。次に、社員昇給規定(ママ)によると、一九八五年(昭和六〇年)当時、事技職三級の最高昇給額は二四〇〇円なので、それを従来の原告の本給六万一六〇〇円に加算して得られた六万四〇〇〇円を同年の原告の本給とし、一九八六年(昭和六一年)当時の事技職四級の最高昇給額を加算したものを同年の原告の本給とし、以下同様に各年度の原告の等級の最高昇給額を加算して得られた退職時(一九九三年)の原告の理論本給が一四万九四〇〇円となる(別紙理論賃金損害額参照)。こうして本件和解成立後、就業規則上の制約をそのまま認め、その枠内の最高の数値をとって計算したものが、別紙理論賃金損害額の「是正本給額」である。ところが、実際の原告に対する各年度本給支給額は別紙理論賃金損害額の「実本給」額である。したがって、是正本給額と実本給額との差額が、原告の本給損害額であり、この本給損害額に基づき、勤務給、職能給、諸手当などを含めた「理論月額損害額」が別紙理論賃金損害額のとおりの数値となり、これを一時金も含めた年損害額に換算したものが別紙理論賃金損害額の「合計」欄記載の数値のとおりである。)。

以上により、原告は、債務不履行による損害賠償として、本件和解協定後の九年間の賃金差額の合計金額四一五万七六四七円を請求する。

(2) 不法行為による損害

ア 原告は、組合分裂以来、被告会社の圧力に屈することなく、分会に留まったため、同期入社の高卒男子は全て管理職(主任又は係長)になったにもかかわらず、事技職五級に押し留められ、進級の差別が昇給の差別につながり、甚大な経済的損失を被った。

イ そればかりか、被告会社は、原告の父親が死亡しても就業規則のうちの社員慶弔規則に定めている花輪も贈らず、会費制の親睦会も原告を排除するために廃止となり、職場の同僚の親族が死亡したため、世話役に香奠を手渡したところ、後になって「貴方の香奠は受け取れない。」と返還されたり、「あんたら(分会員)とは話をするなと職制から言われている。」と言って、職場で口をきいてくれないなど、種々の人権侵害を受けた。

とりわけ、菱重印刷(現在のリョーイン)に配転後は、これまでの労使慣行が原告との関係では存在せず、差別が見えにくくなったため、露骨な差別が強行された。原告に割り当てられた業務は、マイクロフィルムの管理であったが、もともと、一人の人間が専属にするほどの仕事ではなく、職員が他の業務と並行して行っていたものを、原告の仕事上の差別のために独立させ、かつ三方をついたてで囲い、原告を見せしめ的に隔離した(〈証拠略〉)。また、ついたてを撤去した後も、原告だけ一人切り離して作業させた。

さらに、被告会社は、「リョーイン会運営に関する取扱要領」に基づき、原告が出向した際にリョーイン会(親睦会)に加入させるべきところを、約半年間加入させず、また、原告の職場には、これとは別に「江波親睦会」も存在していたが、分会が気付いてこれに抗議するまで、三年間これを隠し続けた。また、同僚の親が亡くなっても、原告にだけは知らせなかった。

こうして職場八分の状況は、菱重印刷(現在のリョーイン)で一層顕在化した。

ウ 以上のとおり、原告は、憲法一四条、一九条、二一条、労基法三条、民法九〇条違反の不法行為として、かかる経済的、精神的苦痛を被ったことにつき、金三〇〇万円をもって慰謝されるのが相当である。

(4)(ママ) 弁護士費用

原告は、本訴提起の着手金並びに成功報酬として、原告訴訟代理人弁護士に金五〇万円を支払う旨を約し、同額の損害を被った。

(五)  要約

よって、原告は被告に対し、右損害合計金七六五万七六四七円及び右金員から弁護士費用相当損害金五〇万円を控除して得られた内金七一五万七六四七円に対する、本件訴状送達の日の翌日である平成五年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2  請求原因に対する認否及び被告の主張

(認否)

(一) 請求原因(一)(当事者)は認める。

(二) 同(二)(本件に至る経緯)(1)のうち、被告会社広島造船所(現広島製作所)内に被告会社の従業員中の工員で構成する労働組合として、かつて分会しか存在しなかったこと、その後、現造船重機労連三菱重工労組広島支部が結成され、現在二つの労働組合が存在することは認めるが、その余は否認する。

(三) 同(二)(本件に至る経緯)(2)は否認する。

(四) 同(二)(本件に至る経緯)(3)のうち、分会が被告を被申立人として、昭和五一年及び昭和五四年に広島県地方労働委員会に対し不当労働行為救済命令の申立てをし、昭和五九年和解が成立し、「事業所は、本件和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」旨記載のある協定書が存在することは認めるが、その余は否認する。

(五) 同(二)(本件に至る経緯)(4)のうち、原告の本給が昭和五九年一月一日に従来の五万九〇〇〇円(月額)から、六万円に改められ、同年の定期昇給により六万一六〇〇円となったことは認めるが、その余は否認する。

(六) 同(二)(本件に至る経緯)(5)のうち、原告がリョーインに出向(休職派遣)していたことは認めるが、被告会社が差別的取扱をしたとの点は否認する。

(七) 同(二)(本件に至る経緯)(6)は否認する。

(八) 同(二)(本件に至る経緯)(7)のうち、賃金問題について団体交渉を重ねていることは認めるが、その余は知らない。

(九) 同(三)(被告の責任)は争う。

(一〇) 同(四)(損害)は争う。

(被告の主張)

(一) 本件和解に至る経緯

(1) 昭和五一年及び昭和五四年に原告の所属する分会は、それぞれ広島県地方労働委員会に不当労働行為救済の申立てを行い(広労委昭和五一年(不)第一七号、広労委昭和五四年(不)第四号)、昭和五五年一一月二七日に両事件の命令が出された(〈証拠略〉)。この命令に対し、昭和五五年一二月一六日、当事者双方が中労委に対して再審査の申立てを行い、中労委昭和五五年(不再)第八〇号及び中労委昭和五五年(不再)第七四号事件として昭和五六年三月三一日から中労委による調査が開始され、昭和五九年三月五日に被告会社と分会間で「組合間成績差別に係わる一切の問題を解決する」旨(協定書前文)の協定書が締結された(本件和解、〈証拠略〉)。

(2) 原告は、分会による前示二件の地労委申立事件の申立人ではなく、地労委の命令の対象者ではなかったが、中労委への再審査申立てに関する中労委調査において、被告会社・組合・中労委が和解交渉を行うことで了承した際、「申立人以外の者については、和解交渉において話合っていく」ということでとり進められたため、原告はじめ申立人に含まれていない分会員も含めて和解協定が締結された。

原告の職群等級・本給については昭和五九年三月五日の本件和解(協定)に先立ち、同年二月二九日に合意が成立した(〈証拠略〉)。

(二) 本件和解協定について

本件和解協定書(〈証拠略〉)及び協定書(〈証拠略〉)には、原告が被告会社の債務内容として主張するような、(1)第二組合員のモデル賃金と分会組合員との間に統計上有意の絶対的格差を生ぜしめないこと、(2)原告の本給を将来にわたり漸次的に第二組合員との格差解消のために是正する旨の記載は一切見当たらないから、労働協約の性質上、明文の記載のなき右のような債務の存在を認めることはできない。本件和解協定は、過去の紛争を解決して被告会社と分会との間の労使関係を円満かつ正常な姿に戻そうということから締結するに至ったもので、このことは協定書の文言から明らかであり、確認書(〈証拠略〉)にも「組合間成績差別に係わる一切の問題が解決したことをここに確認し、今後、労使関係の正常化のために双方誠意をもって努力する。」と定めていることからも裏付けられる。

以上述べた理由により、本件和解協定の解釈からは、原告が主張する債務は認められないし、債務は存在しないことが明らかである。

(三) 被告会社の人事考課制度と原告への適用

(1) 被告会社の「新従業員制度」(以下「現社員制度」という。)は、昭和四四年一一月一日付けで制定されたものであるが、それ以前の旧社員制度は、おもに学歴・勤続年数を基準とする、いわゆる年功序列的色彩の濃いものであったので、時代の進歩に伴う技術革新の影響、労働事情の変化、社会情勢の変化に伴う社員の考え方の変化により、種々検討が重ねられた結果、社員が職務を通じて発揮する能力を公平・公正に評価するという、いわゆる社員の能力主義・実力主義の考え方に立つ現社員制度が制定され(労使合意のうえ実施された制度である。)、現在まで適用されている。

現社員制度のポイントは、第一に旧社員制度の考え方の基本にあった資格制度を廃止し、新たに職務と能力に基づき社員を処遇する制度体系を構築すること、このため、第二に社員各人の成績や職務遂行能力を正しく評価し、昇給や昇進を行うことであり、具体的には「社員昇給規則」や「社員職群等級規則」等の諸制度により構成されている。現社員制度において実際に「社員昇給規則」や「社員職群等級規則」を社員に適用し、昇給額や進級可否を決定するにあたっては、その前提として人事考課が必要である。

(2) 原告への適用について

原告が賃金格差を主張する昭和五九年以降、原告が定年退職する平成五年までの原告の本給、各年の昇給額及び職群等級の推移は、別紙「原告の職群等級・本給・昇給額の推移」(編集部注=略)のとおりである(右の昇給は原告の勤務実態をもとに行われたものであり、また、進級は本人の従事職務及び能力考課の結果である。)。

現社員制度移行時の原告の職群、等級とその等級における滞留年数のあてはめ、及びその後の進級の経緯は次のとおりである。

ア 昭和四四年の現社員制度移行時においては、原告についても他の社員と同じく一定の基準により職群等級のあてはめが行われたが、最初に職群が決定され、次に仕事内容・能力・勤続年数を基準に等級のあてはめが行われ、最後に勤続年数に基づいてその等級における滞留年数が計算された。これにより原告は、事技職二級で滞留年数一三年とあてはめられた。

イ 社員職群等級規則(〈証拠略〉)に定める事技職二級の最長滞留年数は一二年であるが、社員制度移行時の経過措置として、移行時にあてはめられた等級にかぎり最長滞留年数の延長が行われた結果、事技職二級にあてはめられた者の最長滞留年数は、当時一二年から一八年に六年延長されており、原告の事技職二級で滞留年数一三年というあてはめは、現社員制度上全く問題はない。

ウ また、原告は、右取扱によって事技職二級での滞留年数が最長滞留年数の一八年となった昭和四九年に事技職三級に進級している。

以上のとおり、原告について進級等の差別はなく、不当労働行為は成立しないことが明らかであるから、この点についての不法行為を理由とする損害賠償の請求も理由がない。

(四) 原告主張のその余の不法行為について

(1) 原告の休職派遣(出向)の必要性

原告が平成元年四月にリョーインに休職派遣(出向)される以前に所属していた被告会社広島海洋機器工場(広島造船所と同一敷地内にある、以下「広海」という。)は、被告会社の経営対策上、平成元年三月末をもって閉鎖されることになった。広海には当時約九五〇名の社員が在籍していたが、広海閉鎖と同時に全員が異動することとなった。原告も、かかる人員対策の一環として休職派遣(出向)されることとなり、当時、リョーインではマイクロフィルム管理業務に専従者がおらず、客先(被告会社の設計部門)の要求に対して迅速な対応ができていなかったため、マイクロフィルム管理体制の強化を図ることとなったが、設計図を写したマイクロフィルムには設計部門の経験者が業務遂行上適任であるとの観点から、入社以来設計業務に従事してきた原告が選任されたものである。

広海閉鎖に伴って、被告会社の他の事業所へ転任、あるいは他の会社へ休職派遣となった者の中には、異動に伴い居住地の変更を余儀なくされた者も多数おり、また、業務内容が大幅に異なることとなった者も数多くいる。

原告は、結果として県外へ転出することもなく、また、被告会社とは全く関連のない他の会社へ休職派遣されることもなく、広海と同じ敷地内にあった被告会社の関連会社であるリョーインへ休職派遣(出向)されることな(ママ)ったものであり、他の休職派遣となった者に比べ、広海閉鎖が原告に与えた業務上・私生活上の影響は少なく、不利益な取扱がなされているわけではない。

(2) 仕事上のレイアウト

ア リョーイン休職派遣(出向)時

リョーイン江波製作課図面管理班(以下「図面管理班」という。)は、原告の休職派遣(出向)以前は広島製作所江波工場第一事務所三階及び四階にあったが、平成元年三月末で広海が閉鎖され、三階から撤退したことに伴って、三階を改装し、それまで第一事務所三階及び四階に分散していた図面管理班(及び広島製作所の設計部門)を三階に集約することになった。このため、平成元年四月から三階の改装が終了する八月までの五か月間、図面管理班を含む三階にいた各部門は、暫定的に四階に移転することになり、四階のレイアウト変更が行われた。三階の図面管理班はいったん四階の図面管理班に集約されることとなったが、その場所は壁及び移動ラックで三方を囲まれており、来客及び外注業者等の出入りの多い第一事務所の中では、設計図面の管理及び無断持ち出しの防止等秘密保持の観点から比較的適した場所であった。ただし、スペースが狭いため三階及び四階の図面管理班の図面収納キャビネット等を集約すれば、それ以外にマイクロフィルム収納キャビネットを設置する場所がなかった。また、図面管理班の業務の性格上、図面を広げたり閉じたりする図面の出し入れが頻繁にあるが、スペースが狭く作業者が近接した状態にならざるを得ない場所で、薄く小さなマイクロフィルムを管理するのは、紛失等の危険性もあったことから、図面管理班から通路を隔てた隣に場所を確保し、マイクロフィルム管理の専用スペースを設置した(なお、このマイクロフィルム収納キャビネットは、平成元年四月に第一事務所の四階に移動する前は、同事務所とは別棟の江波第二事務所の四階にあったものであり、スペース上の制約から図面管理班とマイクロフィルム管理スペースとを同一区画内に集約することは困難であった。)。

原告の仕事場となったこのマイクロフィルム管理の専用スペースについても、二面は来客等の出入りの多い通路側に面しており、また一面はリョーインとは別会社である被告会社と接しており、秘密保持及び他会社と執務スペースを区分するという考えから、マイクロフィルム収納キャビネット及び当時三階に置いてあった半透明のついたて(縦置きに使用するもので高さ一・八メートルの半透明のアクリル製パーティション)を使って区分した。

このように、マイクロフィルム管理の専用スペースの設置は、レイアウト変更までの短期的、暫定的な対応であり、スペース面及び秘密保持の必要性から最低限のレイアウト設定であって、決して原告を見せしめ的に隔離したものではないことは明らかである。

イ 団交(平成元年五月二四日開催)後

右のレイアウトをめぐって、原告の所属していた分会と被告会社との平成元年五月二四日開催の団交の場で論議がなされ、同日の団交後に、円満な労使関係の維持に配慮し、ついたての高さは一・八メートルから〇・九メートルに変更された(右ついたては、縦置き(高さ一・八メートル)で使用するように作られていたものであるが、分会から強い要請が出されたため、ついたてを横置きに改造し高さを〇・九メートルに下げて設置し直したにすぎず、区画そのものは従来どおりであった。)。

ウ 第一事務所三階の改装後

第一事務所三階の改装は、平成元年八月末に完了したので、図面管理班を含め同事務所四階にあった各部門は三階へ移転した。改装後の新しい三階の図面管理班の作業所の広さは、四階の図面管理班の作業場と原告の勤務したマイクロフィルム管理の専用スペースを合わせた広さよりも更に広くなったため、マイクロフィルム管理業務の作業所も図面管理班の作業場に集約された。当時、この区画には原告を含めて四名(原告の直属の上司であった辻課長を除く)が勤務していたが、机を四台並べるスペースがなかったことから、担当業務の異なる原告の机を他の三名の机の隣に設置した(これが隔離とはいえないことは、レイアウト図(〈証拠略〉)を見れば明らかである。)。また、原告の机と差し向かいに課長席が配置された(これは、右の図面管理班の作業所は、リョーイン江波製作課の分室であるから、課長席が設けられたのであり、また、両机が差し向かいに配置されたのは、原告がマイクロフィルムの管理を行う際に原告自身の机が狭ければ課長の机も使用できるという仕事上の利便性が考慮されたこと、及び作業場の決められたスペースの中に五台(課長席を含む)の机を配置するための苦肉の策として決定された措置である。)。

(3) 原告の作業内容等

ア 原告の作業の必要性

原告は、平成元年四月一日にリョーインに休職派遣(出向)後、マイクロフィルムの払い出し、使用後のマイクロフィルムの収納保管、新たに撮影されたマイクロフィルムの保管及びマイクロフィルム管理台帳の作成を業務内容として指示された(なお、「オーダー別マイクロフィルムの管理台帳」及び「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」の作成は、休職派遣(出向)時点で辻課長からマイクロシステム管理要領(〈証拠略〉)を原告本人に手交し指示がなされている。)。これらマイクロフィルム管理業務は、原告が休職派遣(出向)される以前は、図面管理班の他の社員が兼務していた。そのため業務が輻輳し、マイクロフィルムの管理が杜撰となり、客先(被告会社の設計部門)からの依頼がきても迅速な対応ができなかった。このような経緯から、マイクロフィルム管理体制の強化が急務となり、同業務に専従者一名をつけることが必要になったため、原告がこれに従事した。

イ 作業の内容と方法

元々、「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」については、一部不完全なものが原告の休職派遣(出向)以前から存在していたが(以下「旧管理台帳」という。)、旧管理台帳が不完全なものであったために、原告の上司であった辻課長は、保管されているマイクロフィルムを棚卸しして完全なリストを作成するよう原告に指示した(辻課長は、「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」の作成方法に関して、収録漏れを防ぐため、拡大鏡を覗きマイクロフィルムを直接確認しながら整理するよう原告に指示した。もっとも、既存のマイクロフィルムをA3に拡大したファイ(ママ)ル(以下「A3ファイ(ママ)ル」という。)及び旧管理台帳も別に存在していたが、リョーインの保管していた全てのマイクロフィルムがA3ファイ(ママ)ルに収録されていたか否かは確認されておらず、前任者が作成していた旧管理台帳についても図面データの欠如した部分があった。そもそも、「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」は、マイクロフィルムを検索するためのものであって、実在するマイクロフィルムを正確に反映したものでなければならない。このため、原告が別に存在していたA3ファイ(ママ)ルや前任者が作成していた旧管理台帳に基づいて作業を行ったとしても、最終的には、現存するマイクロフィルムと作成された管理台帳とを全点照合する必要がある。辻課長は、この意味でマイクロフィルムを棚卸しする形での作業を指示したものである。)。なお、辻課長は、旧管理台帳作成用に使用されていたフォーム(〈証拠略〉)を使って作業するよう原告に指示したが、原告は、辻課長の了解を得て自費で購入したコンピューターを使用して右作業をした。

ウ マイクロフィルム管理業務の現状

原告の定年退職後、マイクロフィルム管理業務に専従者を置いていないが、これは、原告が「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」をひととおり完成させたこと等によるマイクロフィルム検索作業の効率化、及びリョーインの全体にわたる業務効率化の流れの中で人員縮減が行われた結果である。

原告の作成した管理台帳は現在でも使用されており、さらに原告退職後も、新規にマイクロフィルムが作成されるのに合わせて、その都度新規の管理台帳が作成され、原告作成の管理台帳に追加され、業務に利用されている。

エ 管理台帳の作成経過

管理台帳のうち「オーダー別マイクロフィルムの管理台帳」は、原告がリョーインに休職派遣(出向)となった平成元年四月時点においては、その三分の一程度が作成されていたが、残りの三分の二は未完成であった(〈証拠略〉)。その後、比較的早い時期に右台帳は完成した。

「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」については、原告がリョーインに休職派遣(出向)となった時点では一部について不完全な形で存在していた(旧管理台帳、これは一定のフォーム(〈証拠略〉)を使用して作成されていた。)。原告は、休職派遣(出向)後、右旧管理台帳とは別に新規に「オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳」の作成を開始し(新台帳、〈証拠略〉)、新台帳は、原告が定年退職となった平成五年九月ころに一応完成し、その後使用が開始された(なお、旧台帳は現在も保管されているが、一切使用されていない。)。

(4) 休職派遣(出向)時の挨拶

原告の休職派遣(出向)時に、原告を職場の者に紹介する場が設けられなかった。これは、原告の上司であった辻課長自身が、原告と同日付でリョーインへ休職派遣(出向)となり、当日朝、始業時にリョーインの広島地区の本部がある被告会社広島製作所観音工場へ自宅から直接入場し、そこで、辻課長の上司であるリョーイン広島営業所長から課長職の辞令の交付を受けた後、同江波工場にある職場に着任したという事情から、原告の紹介を始業時に行えず、そのため、原告を職場の者に紹介することを失念したためである(原告から直接上司に対して、相談や意見具申等もなかった。)。

(5) リョーイン会

原告は、休職派遣(出向)された平成元年四月にリョーイン社内の親睦会であるリョーイン会(体育・文化行事等を行う)に加入することができず、同年九月に加入した。リョーイン会への加入時期は、従来から三月又は九月とされており、原告と同時に四月にリョーインに休職派遣(出向)となった辻課長も、原告と同じく九月にリョーイン会へ加入した。

(6) 江波作業課(現江波製作課)親睦会

原告は、職場単位の親睦会である江波作業課親睦会に休職派遣(出向)後三年経過した平成四年四月になって加入した。江波作業課親睦会は会社の関与しない私的親睦会であり、その運営は全て幹事に委ねられていた(課長は、同会会則の報告を受けたにすぎず、職制として当該会則を承認したものではない。このことは、当該会則第五条に「本会の運営について協議事項が発生した場合、幹事は課長を加えてもよい。」としている点からも明らかである。)。

(7) 定年退職時の挨拶

平成五年九月三〇日の原告の定年退職時の挨拶について、上司の辻課長は、原告に対し、「一七時一五分(被告会社の終業時刻)から退職の挨拶を行うので一七時までには職場に戻るように」と指示した。原告は、退職の挨拶をするために職場に戻って来なかったが、職場では花束と餞別を準備し、職場の全員(三十五、六人)が揃って原告が来るのを一八時ころまで待っていた。

なお、原告の退職の挨拶を終業時刻である一七時一五分からと指示したのは、リョーインの業務内容が、客先(被告会社)の依頼に応じて図面の払い出し、各種複写作業等を行う必要があるため、一七時一五分以前に江波工場内に分散して業務を行っている江波製作課の社員が業務を中断して集合することが難しかったためである(原告がリョーイン江波製作課に休職派遣(出向)となった平成元年四月から平成五年九月に定年退職するまでの間にも、結婚等で約一〇名が退職しているが、いずれも被告会社及びリョーインの終業時刻である一七時一五分以降に退職の挨拶を行っており、原告のみが例外扱いされたわけではない。)。

(8) 原告の父親死亡時の花輪贈与について

被告会社の社員慶弔規則には、社員の家族が死亡した場合に花輪を贈与することが定められている。原告は、「昭和五五年に原告の父親が死亡した際、被告会社から社員慶弔規則に定められた花輪の贈与を受けていないが、これは人権侵害である」旨主張する。

原告の父親の死亡当時、花輪が贈与されたど(ママ)うかは年数が経過しており、現在では分からない。当時も現在も、広島製作所の所在地である広島市内及びその周辺地区(一部地区のみ)以外の遠隔地(当時の原告の実家は、広島県北東部の岡山県境に近い帝釈峡の付近)で葬儀が行われる場合は、実際の運用としては、本人が自分で花輪を手配し、後日被告会社にその費用を請求することになっている(したがって、仮に原告に花輪が贈与されていなかったとしても、それは原告自身が花輪の手配を失念していたか、又は被告会社への費用請求を失念していたかの何れかである。)。

(9) 要約

以上述べてきたとおり、原告が主張する事実は、いずれも不法行為として評価され得るようなものではなく、したがって、不法行為による慰謝料請求は理由がない。

(五) 消滅時効

仮に原告主張の不法行為が成立するとしても、原告の主張する行為のうち、平成二年九月三〇日以前の行為については、行為時から本訴提起の日(平成五年一〇月一日)まで三年の経過により、損害賠償請求権は時効により消滅しているので、被告会社は、本訴において民法七二四条前段により右時効を援用する(したがって、右消滅時効が適用されないのは、原告のリョーイン休職派遣(出向)後の事実に関する部分のみであるが、これについて不法行為が成立しないことは前示のとおりである。)。

原告が主張している不法行為は、その時期、内容からして、それぞれ別個の行為であることが明らかであり、原告は、各行為があった時に加害者を知ることができたし、その時点から損害賠償の請求をすることができたものであるから、原告主張の個々の行為の行為日を起算点として消滅時効は進行しているものとみるべきである。

(六) 権利濫用の主張に対する認否

消滅時効の援用が権利の濫用である旨の原告の主張(後記3(二))は争う。

3  消滅時効に対する認否及び原告の主張

(認否)

被告の消滅時効の主張は争う。

(原告の主張)

(一) 被告の原告に対する賃金差別、職場八分の不法行為は、原告が分会組合員であることを実質的理由とするものであり、被告の分会敵視による分会組合員への不法行為は、一九六三年(昭和三八年)に分会が分裂して以来一貫したものであり、原告に対する被告の加害行為も、右分裂以来被(ママ)告が定年退職した一九九三年(平成五年)九月三〇日まで連続した一個の不法行為に該当し、原告の右不法行為に基づく損害は、包括して一個の損害とみることができる。

したがって、かかる継続的不法行為の時効の起算点は、原告がその損害及び加害者を知った右退職時である。

(二) 仮に右主張が認められないとしても、原告の所属する分会は、本件和解協定以後も賃金差別等の問題が解消していないことから、一九八六年(昭和六一年)五月に被告に対し団交申入れをし、その後本訴提起時まで右交渉を継続してきたものであり、原告は、退職時までその団交の結果を待っていたものであって、権利の上に眠っていたものではないから、被告の消滅時効の援用は、権利の濫用として許されない。

三  証拠

証拠の関係は、本件訴訟記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件の前提となる事実

争いの無い事実及び証拠(後記括弧内に記載のとおり)並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

1  原告は、昭和二四年四月一日、被告会社広島造船所(現広島製作所)に養成工として入社し、昭和二六年四月一日、同所造船部造船設計課に配属され、それ以降、被告会社に在籍中は設計業務に従事してきた者であり、入社と同時に全日本造船機械労働組合三菱重工支部広島造船分会(以下「分会」という。)に加入し、その後、昭和四〇年及び昭和五八年に分会の職場委員を勤(ママ)めたことがあったが、後記のとおり(8)、休職派遣(出向)先のリョーインに在籍中の平成五年九月三〇日、定年退職した(原告本人)。

被告会社は、船舶、原動機、各種産業機械、航空機の製造販売等を目的とする株式会社であり、広島製作所の従業員数は現在約三七〇〇名余である(争いがない。)。

2  被告会社広島造船所(現広島製作所)内において、被告会社の従業員中の工員で構成する労働組合は、かつて分会しか存在しなかったが、その後(昭和三九年)第二組合(現造船重機労連三菱重工労組広島支部)が結成され、現在二つの労働組合が存在する(争いがない。)。

3  分会は、昭和四三年一月二〇日及び九月二四日、広島県地労委に対し、分会組合員に対する賃金不利益取扱禁止等を求める不当労働行為救済命令の申立てをなし(広労委昭和四三年(不)第一号事件、同第一四号事件)、右事件は地労委から和解の勧告がなされ、昭和四八年二月二三日和解が成立した(〈証拠・人証略〉)。

4  被告会社は、昭和四四年一一月一日、それ以前の旧社員制度(おもに学歴・勤続年数を基準とする年功序列的色彩の濃いもの)を改め、社員の能力主義・実力主義の考え方に立つ現社員制度を制定し、これを労使合意のうえ実施し、現在まで適用されている(〈証拠略〉)。

5  分会は、昭和五一年一一月一三日及び昭和五四年三月、広島県地労委に対し、昇給・進級差別を中心とする不当労働行為救済命令の申立てを行い(広労委昭和五一年(不)第一七号、同昭和五四年(不)第四号併合事件)、同地労委は、昭和五五年一一月二七日右申立てを一部認容し不当労働行為救済命令を発したが、当事者双方は右命令を不服として中労委に再審査の申立てをなし、中労委の関与により、昭和五九年三月五日被告会社と分会との間で和解が成立し、労使間協定(本件和解協定)を締結した(〈証拠・人証略〉)。

6  本件和解協定書には、「事業所(被告会社)と分会とは分会組合員(退職者及び死亡者を含む)の組合間成績差別に係わる一切の問題を解決するため、下記のとおり協定する。」旨の前文の記載に引き続き、「記」として「1事業所・分会間に組合間成績差別に係わる問題が生じたことは遺憾なことであり、事業所は、本件和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」旨の記載がある(〈証拠略〉)。

7  本件和解協定の成立により、中労委の昭和五五年(不再)第七四、第八〇号事件も全て取下げられたうえ、解決金も支払われ(〈証拠略〉)、その結果、分会組合員である原告の本給は、従来の月額五万九〇〇〇円から月額六万円に改められ、同年の定期昇給により月額六万一六〇〇円となった(争いがない。)。

8  原告は、平成元年四月、それまで所属していた被告会社広島海洋機器工場が同年三月末に閉鎖されることになったため、被告会社の関連会社(子会社)であるリョーインに休職派遣(出向)され、マイクロフィルム管理業務の専従担当者となり、平成五年九月三〇日、定年退職した(原告本人)。

二  本件和解協定の解釈

原告は、被告会社が、本件和解協定において、右和解の成立によって改められた原告の賃金と、当時原告と同期同年齢の事技職平均本給(モデル賃金)との間に存した較差を、将来にわたり漸次解消する旨合意したと主張する。

しかしながら、前示のとおり、本件和解協定書には、「事業所(被告会社)と分会とは分会組合員(退職者及び死亡者を含む)の組合間成績差別に係わる一切の問題を解決するため、下記のとおり協定する。」旨の前文の記載に引き続き、「記」として「1 事業所・分会間に組合間成績差別に係わる問題が生じたことは遺憾なことであり、事業所は、本件和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」旨の記載があるところ、右文言を合理的に解釈しても、被告会社が分会(及びその組合員である原告)に対し、将来にわたり原告主張の賃金較差を解消する旨約したものと解することはできない。

前示のとおり、本件和解協定は、昇給・進級差別を中心とする不当労働行為救済命令申立事件(広労委昭和五一年(不)第一七号、同昭和五四年(不)第四号併合事件)で広島地労委が右申立てを一部認容して不当労働行為救済命令を発したことに対し、当事者双方が右命令を不服として中労委に再審査の申立てをなし、右審理の過程で中労委の関与のもとに和解により、被告会社と分会の双方が互譲した結果、本件和解協定が成立するに至ったものであり、右経緯や前示記載文言に徴すれば、本件和解協定は、右不当労働行為救済命令申立事件で審理の対象とされた組合間成績差別の存否をめぐる過去の一切の紛争を解決し、被告会社と分会との労使関係の円満かつ正常な状態の回復を図るために締結されたものであり(なお、本件和解協定に関して労働組合三菱重工支部が被告会社と交わした確認書(〈証拠略〉)にも、「『組合間成績差別』に係わる一切の問題が解決したことをここに確認し、今後労使関係の正常化のために双方誠意をもって努力する。」旨の記載がある。)、本件和解協定書にいう「事業所は、本件和解の趣旨を尊重し、今後不当労働行為と疑われる行為を行わない。」旨の文言も、それ自体は、いわば当然の、法律に従った無色な抽象的不作為を宣言するものに過ぎないと解するのが相当であって、右文言に、原告主張のような意味(被告会社が分会に対し、将来にわたり賃金較差を解消すべき債務を負担すること)を読み取ることはできない。

加えて、本件和解協定が労働協約であることからすれば、一定の書面方式を要求し、法規範にも比せられる労働協約の存在と内容を明確にして法的安全を期そうとした労組法一四条の立法趣旨に照らし、本件和解協定は、その協定書の記載文言に則して厳格に解釈されるべきものであるところ、原告主張の債務の存在及び内容が右協定書に何ら記載されていない本件においては、本件和解協定の合意内容に、被告会社が原告主張の債務を負担する旨の意思表示が含まれているものと解する余地はない。

したがって、本件和解協定書の記載文言及び本件和解協定成立に至る経緯から窺われる本件和解協定の趣旨を勘案しても、本件和解協定の解釈として、原告が主張するように、本件和解協定により被告会社が不当労働行為を行ったことを認め、当時、原告ほか分会組合員の賃金とモデル賃金との間に存在した格差が違法な賃金差別であることを前提として、被告会社が、今後右の賃金格差を拡大させない旨を約したとか、将来にわたり賃金格差を漸次解消すべき債務を負担したものと解することはできない(なお、付言するに、原告主張の右債務内容について見ても、将来にわたる賃金格差拡大の禁止、右格差解消の抽象的義務をいうのみで、賃金格差是正の期限や是正の方法等の具体的債務内容を確定することができないものであることからすれば、原告主張の右債務は、その違反が損害賠償を生ぜしめる程の法的拘束力を有するものとは解し難く、単に将来に向けての被告会社の努力目標を定めたもので、法的拘束力のない抽象的な作為・不作為の宣言に過ぎないものとも解されなくはない。)。

そうすると、本件和解協定上の債務不履行に基づく原告の主張は、その前提となる原告主張の債務が認められないから、さらにその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三  不法行為の成否

原告は、原告が組合分裂以来、被告会社の圧力に屈することなく分会に留まったため、被告会社から、(1)賃金差別、(2)仕事上の差別、(3)職場における自由な人間関係を形成する自由を侵害され、経済的、精神的損害を被った旨主張する。

1  賃金差別

原告は、被告会社から分会組合員であることを実質的理由として、本件和解協定後、定年退職時までの九年間、違法な進級、昇給差別を受け、同年齢・同期入社の高卒男子との賃金(モデル賃金)格差が拡大し、甚大な経済的損害を被った旨主張する。

(一)  証拠(後記括弧内に記載のとおり)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五九年以降、原告が定年退職する平成五年までの原告の本給、各年の昇給額及び職群・等級の推移は、別紙「原告の職群等級・本給・昇給額の推移」のとおりであり、右等級等が就業規則や現社員制度の最高、最低の範囲内で被告会社の裁量により決定された(原告において明らかに争わないところである。)。

(2) 社員職群等級規則(〈証拠略〉)によれば事技職二級の最長滞留年数は一二年とされているが、社員制度移行時の経過措置として、事技職二級にあてはめられた者の最長滞留年数は一二年から一八年に延長され(したがって、原告の事技職二級で滞留年数一三年というあてはめは現社員制度上問題はない。)、原告は、事技職二級の最長滞留年数一八年となった昭和四九年に事技職三級に進級し、その後、昭和六〇年に滞留年数一一年(最長滞留年数は一五年)で事技職四級に、平成二年に事技職五級にそれぞれ進級し、平成五年九月に定年退職した(〈証拠略〉)。

(二)  前示認定の事実のもとでは、原告の進級、昇給は就業規則や現社員制度の最高、最低の範囲内で適法に決定されているのであり、また、原告の賃金(本給)と原告主張のモデル賃金(全従業員の職務別平均本給)との間に格差があるとしても、そのことから直ちに不当労働行為が成立するとか、不法行為を構成するものと断ずることはできない。

すなわち、前示のとおり(一4)、被告会社では、昭和四四年一一月一日、それ以前の旧社員制度(おもに学歴・勤続年数を基準とする年功序列的色彩の濃いもの)を改め、社員の能力主義・実力主義の考え方に立つ現社員制度を制定し、これを労使合意のうえ実施し、現在まで適用されているというのであり、一定の年限を経た者を全ていわば自動的に進級、昇給させるという運用が行われていたわけではない。

被告会社は、進級、昇給対象者を選定するに当たっては、勤続年数という形式的な要素だけではなく、その者の勤務成績、勤務実態、従事職務と職務遂行能力といった諸々の事情を総合的に勘案したうえで、その適格性を判断していたものであるから(〈証拠略〉)、右のような諸般の事情を考慮しても、なお、仮に原告主張の不当労働行為ないし違法行為がなかったとすれば、学歴・年齢・勤続年数を同じくする従業員の賃金(モデル賃金)と同程度まで原告が進級、昇給させられた筈であると認められる特段の事情がない限り、原告が同期・同年齢の者より賃金が低く、進級が遅れていたことをもって違法な賃金差別と評することはできない。

そして、右特段の事情は、勤務成績等の考課要素につき原告と他の同期・同年齢の従業員との優劣を確定するに足りる資料がなく、この点が明らかでない本件においては、右特段の事情の存在を認めることができない。

もっとも、原告本人は、被告会社の設計部門に在籍中、原告考案にかかる実用新案を四件取得した旨供述する。確かに、証拠(〈証拠略〉)によれば、昭和五五年から五六年にかけて特許庁に三件の実用新案の出願をしたことが認められるが、これが特許庁に実用新案として登録されたことを認めるに足りる証拠はなく(他の一件については登録されていることは被告会社の認めて争わないところである。)、また、原告の右在籍期間(三八年間)や被告会社(設計部門)の当時の年間出願件数(二〇〇件以上、弁論の全趣旨)を勘案すると、原告の右成績の評価は分かれるところであり、いずれにしても、原告の右供述のみをもって、前示特段の事情の存在を裏付けることはできないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)  したがって、賃金差別の違法をいう原告の主張は理由がない。

2  仕事上の差別

(一)  原告の休職派遣(出向)の必要性の有無

証拠(〈人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「原告の休職派遣(出向)の必要性」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(1))が認められる。

右認定事実によれば、原告は、被告会社の経営対策上の広海閉鎖に伴い、人員対策の一環として、被告会社の関連会社(子会社)であるリョーイン(広海と同じ敷地内に所在)へ休職派遣(出向)されたものであり、派遣先でも従前の担当職務であった設計業務に関連する業務(マイクロフィルム管理業務)に従事することになったものであるから、右休職派遣(出向)が原告に対する不利益な取扱であるとは認められない。

(二)  原告の作業内容等

(1) 原告の作業の必要性の有無

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「原告の作業の必要性」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(3)ア)が認められる。もっとも、原告本人は、リョーインへの休職派遣(出向)当初は、一日分として数十分の仕事(マイクロフィルムの払い出し)しかない状態で精神的苦痛を味わったが、この件につき、広船分会を通じ被告会社・リョーインに対し団交(平成元年五月二四日)において申入れを行うと、その後は図面リストの番号を綺麗に並べるという極端に分量の多い仕事(オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳の作成作業)を指示された旨供述するが、右供述は、前示認定の事実に照らしてたやすく信用できず、他に前示認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 原告の作業の内容及び方法

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「作業の内容と方法」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(3)イ)が認められる。

もっとも、オーダー図番別マイクロフィルムの管理台帳の作成に関し、原告本人は、照明器具と拡大鏡を使ってマイクロフィルムを覗き、それぞれのフィルムに記載されているオーダー、図面番号、フィルム番号を拾い出すという大変な作業は、後にその存在が判明したA3ファイルや前任者が作成した旧管理台帳を利用して作業することができていれば、全く無意味で不必要な作業であった旨供述するが、右供述は、前示認定の事実に照らしてたやすく信用できず、他に前示認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) マイクロフィルム管理業務の現状

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「マイクロフィルム管理業務の現状」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(3)ウ)が認められる。

右認定の事実に照らせば、原告の定年退職後、マイクロフィルム管理業務に専従者が置かれていないからといって、原告が在籍中行ってきたマイクロフィルム管理台帳(新台帳)の作成作業が無意味で不必要であったとはいえないし、また、右新台帳は、原告の定年退職後、使用されていないとか、原告に引き続き新たに作成された形跡はない旨の原告本人の供述はたやすく信用できない。

(4) 管理台帳の作成経過

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「管理台帳の作成経過」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(3)エ)が認められる。

(5) 要約

以上認定の事実に照らせば、原告がリョーインへ休職派遣(出向)後割当られたマイクロフィルム管理業務は、その作業量や必要性からみて、一人の人間が専従するに値するもので、決して無意味な仕事ではなかったことが認められ、この点につき、職員が他の業務と並行して行っていたものを、被告会社が原告の仕事上の差別のために独立させ、これを原告に専従担当させて差別を強行した旨の原告の主張は理由がない。

3  職場での自由な人間関係を形成する自由の侵害について

原告は、被告会社は、原告が分会組合員であることを実質的理由として、(1)原告がリョーインへ休職派遣(出向)になった際、原告一人を三方をついたてで囲んだ高い囲いの中で壁に向かって仕事をさせ、原告をみせしめ的に隔離し、また、ついたてを撤去した後も、原告だけ一人切り離して作業させたこと、(2)「リョーイン会運営に関する取扱要領」に基づき、原告が休職派遣(出向)した際にリョーイン会(親睦会)に加入させるべきところを、約半年間加入させず、また、原告の職場には、これとは別に「江波親睦会」も存在していたのに、分会が気付いて抗議するまで三年間これを原告に隠し続け、「村八分」ならぬ「職場八分」の差別をしたこと、(3)原告の父親が死亡しても、就業規則のうちの社員慶弔規則に定めている花輪も贈られなかったこと、(4)その他、職場八分による種々の人権侵害(例えば、原告に対し、休職派遣(出向)時及び定年退職時に職場において挨拶する機会を与えなかったこと)が行われ、職場での自由な人間関係を形成する自由が侵害された旨主張する。

(一)  仕事場の隔離による差別の主張について

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「仕事上のレイアウト」中の「リョーイン休職派遣(出向)時」「団交(平成元年五月二四日)後」「第一事務所三階の改装後」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(2)アないしウ)が認められる。

右認定に反する(人証略)の証言及び被告本人の供述は、前掲証拠に照らし、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実に照らせば、原告の仕事場のレイアウトについて、被告会社ないしリョーインが講じた措置には、それが最も適切妥当な措置であったかどうかはさて措き、少なくともそれなりの合理的理由が認められないわけではないから、原告が主張するように、被告会社が、原告が分会組合員であることを実質的理由として差別的取扱をする意思のもとに、殊更、原告の仕事場をついたてで隔離したり、原告を職場で孤立させた状態で仕事をさせたとまで認めることはできない。

したがって、原告が仕事場の隔離ないし孤立化により違法な差別的取扱を受けた旨の原告の主張は理由がない。

(二)  各種親睦会から原告を排除して職場で孤立化させた旨の主張について

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「リョーイン会」及び「江波作業課(現江波製作課)親睦会」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(5)、(6))が認められる。

右認定に反する(人証略)の証言及び原告本人の供述は、前掲証拠に照らし、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実及び原告本人の供述によれば、原告は、職場の親睦会であるリョーイン会や江波作業課親睦会から完全に遮断、排除されていたわけではなく、実質的にはこれらの会に入会し、各種行事に積極的に参加していたことが認められるのであるから、原告の入会時期が、規則又は慣例上の制約から(リョーイン会)、或いはなんらかの手違いにより(江波作業課親睦会)若干遅れることがあったとしても、そのことを捉えて、被告会社が原告を排除して職場で孤立化させたものと評することはできない(なお、原告本人の供述によれば、原告がリョーイン会に加入する前の休職派遣(出向)直後(四月)に、同会の行事である誕生会に参加していることが認められる。)。

(三)  原告の父親死亡時の花輪贈与について

原告本人は、原告の父親が死亡したとき(昭和五五年)就業規則(社員慶弔規則)に定めている花輪も贈られなかった旨供述する。

しかしながら、花輪が贈られなかったことについては、原告本人の右供述があるのみで、他にこれを確定する証拠はないばかりか、仮に花輪が贈られなかったとしても、被告会社所在の広島市から遠隔地で葬儀が行われた場合は、本人が自分で花輪を手配し、後日被告会社にその費用を請求するという運用がなされていたことが弁論の全趣旨により認められる本件においては、原告本人の右供述をもって、原告が違法な差別を受けたと速断することはできない。

(四)  その他の職場八分による人権侵害の主張について

証拠(〈証拠・人証略〉)並びに弁論の全趣旨によれば、「休職派遣(出向)時の挨拶」及び「定年退職時の挨拶」に関する被告の主張事実(被告の主張(四)(4)、(7))が認められる。

右認定に反する原告本人の供述は、前掲証拠に照らし、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実関係のもとでは、原告の上司である辻課長は、前示認定の事情から原告の紹介を休職派遣(出向)当日の始業時に行えず、原告からの申出もなかったことから、原告を職場の者に紹介することを失念したというのであるから、何らかの意図のもとに殊更に原告の紹介をせず放置していたわけではないこと、また、辻課長は、原告に時刻(終業時刻である一七時一五分)を指示して原告が退職時に職場の者に退職の挨拶をする機会を設定し、当該職場の全員(三十数人)が花束と餞別を用意して原告の来るのを待っていたというのであるから、原告が退職の挨拶をしなかったのは自己の意思によるものというほかはなく、これを他に転嫁して、上司(辻課長)を非難するのは当たらない。

(五)  要約

以上のとおりであって、職場での自由な人間関係を形成する自由が侵害された旨の原告の主張はいずれも理由がない。

4  不法行為の成否のまとめ

以上に認定・説示のとおり、原告の前掲各主張は、いずれも不法行為を構成するものとはいえないから、原告の不法行為に基づく慰謝料請求は、さらにその余の点(消滅時効、権利濫用)について判断を進めるまでもなく、理由がない。

四  結論

よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松村雅司)

《別紙》理論賃金損害額

〈省略〉

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